東京地方裁判所 昭和40年(ワ)5245号 判決 1970年1月30日
原告
エスエス製薬株式会社
代理人
馬場東作
外一名
被告
化学産業労働組合同盟
関東地方本部エスエス製薬支部
代理人
渡辺正雄
外二二名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実<省略>
理由
一昭和三八年六月二四日会社と支部組合との間に、本件建物について、「二、会社が組合に貸与する組合事務所は本件建物とする。三、組合は組合事務所を組合活動の目的にのみ使用するものとする。九、組合事務所の使用は原則として平日は午前八時二〇分から午後七時三〇分迄の間とし、又会社休日はこれを使用してはならない。一三、前各号の一に違反した場合、組合は会社から即刻組合事務所の明渡しを求められても異議なきものとする。一四、組合事務所の貸与期間は昭和三八年六月二四日より一ヶ年間とする。但し会社、組合協議の上更新することができるものとする。一六、組合は、組合事務所を会社に返還する場合には原状に復し、整理整とんしなければならない。」(その他の条項省略)との約定の使用貸借契約が成立し、支部組合が同日から本件建物を占有、使用していることは当事者間に争いがなく、昭和三九年六日二四日をもつて右約定の一ヶ年の貸与期間が経過したことは明らかである。
二被告は、右契約期限の到来後原告との間に本件建物につき期間の定めのない使用貸借契約が成立した、と主張するので判断する。
(一) 被告は、支部組合が右契約期限到来後も継続して本件建物を組合活動の本拠として使用した事実とこれに対する会社の使用許諾の明示の態度から使用貸借契約関係が成立するに至つた、と主張し、<証拠>中には右被告主張に副う部分があるが、右は後掲の証拠に照らしてたやすく採用し難く、他に右被告主張を認め得る証拠はない。
かえつて<証拠>を総合すると、次の諸事実が認められる。
(1) 支部組合は昭和三八年六月二四日本件建物を借り受けてから棚、机、椅子などの什器備品や謄写版を置き、電話を架設し、支部組合の執行委員会や専門部会議、上部団体および支援団体との連絡、会合、教宣活動のための印刷物の作成など組合活動のために利用していたが、会社は昭和三八年一一月六日「支部組合の日比野執行委員長、佐藤副委員長、望月書記長が共同して同月三日の休日に上記使用貸借契約第九項に違反し守衛の制止を無視して本件建物内に机等の物品を搬入し守衛の業務を妨害した」との理由で使用貸借契約を解除し、支部組合に対して本件建物を同月一五日午後七時三〇分限り明渡すよう要求するとともに、右組合三役に対し懲戒解雇の意思表示をした。そこで、支部組合としては、会社の要求が不当であると考えていたが、現実に使用を強行することによつて会社側と摩擦を生じ、他の組合役員に対する解雇処分など紛糾をさらに増大することを避けるため、同月一五日謄写版、裁断機、机、戸棚など組合活動に必要な若干の物品を搬出し、その他の什器備品類を残したまま本件建物の引戸に支部組合所有のかぎを施し、その占有は保持しながらも本件建物への出入りを差控え、これを現実に組合活動のため使用することは中止した。
(2) その後支部組合は、本件建物が使用できないため職場の中で集会をもつなどして組合活動をつづけていたが、昭和三九年一二月二九日会社が支部組合員全員を解雇するとともに、本件建物へ行くために使用するブロック塀の出入口に板を打ちつけてこれを閉鎖し、昭和四〇年五月頃には支部組合に対し、本件建物内の物品を搬出しないときは、会社において適当な場所に保管したい旨を通告し、支部組合の本件建物に対する占有を実力で妨害ないし侵奪する危険が生じたので、支部組合は、会社を相手どり東京地方裁判所に本件建物の占有妨害排除を求める仮処分命令を申請し(昭和四〇年(ヨ)第二一六八号)、同年六月四日本件建物の現状変更禁止および前記ブロック塀の出入口から本件建物に至る支部組合の通行妨害禁止(ただし休日および午後七時三〇分から正午までの間を除く)の仮処分決定を得た。そして、支部組合は、右仮処分決定の後本件建物の使用を再開し、使用中止前と同様ここを本拠として組合活動を行うようになり、会社も仮処分決定に従つてこれを敢えて妨げることなく容認して今日に至つている。会社は、支部組合が本件建物の現実の使用を中止していた間は、組合関係の文書を主として日比野執行委員長の自宅宛郵送しており、少くとも本件建物に持参したことはなく、仮処分決定により使用再開後は本件建物に送付または持参することもあつた。
右認定の事実によると、支部組合は、昭和三八年一一月一五日から昭和四〇年六月四日頃までは本件建物の占有を保持していたものの、これを現実には使用していなかつたのであり、また、同日以降現在に至るまで使用を継続し、会社がこれを容認しているのは、支部組合が占有妨害排除仮処分決定を得たことによるものであると認めるのを相当とするから会社が、本件建物の使用を許諾する明示の態度をとつたことを前提とする被告の本主張は、採用することができない。
(二) 被告は、昭和三九年一月一六日都労委において会社と支部組合間に成立した協定により、本件建物につき期限の定めのない使用貸借契約が成立した、と主張するので検討する。
昭和三八年二月一二日日東京地方裁判所昭和三六年(ヨ)第二一〇一号、第二一三一号地位保全仮処分申請事件における裁判上の和解成立に際し、会社と支部組合との間に有効期間を一ヶ年間とする覚書が締結され、この第四項によると、「会社は組合に対し、組合事務所および掲示版を貸与する」との定めがあること、その後右覚書の有効期間経過前である昭和三九年一月一六日に都労委において会社と支部組合間に、「会社は……昭和三八年二月一二日付覚書の趣旨を尊重する」との協定が成立したことは当事者間に争いがない。
しかしながら<証拠>を総合すると、上記都労委における協定成立に至る経過として、次の事実が認められる。
支部組合は、会社が組合員らの職場配置、厚生活動その他について差別待遇を行つたとして昭和三八年中に都労委に不当労働行為救済の申立をしたが(昭和三八年不第六〇号事件)、上記覚書の第九項によれば「会社は向後一年間に限り本人の同意なくして組合員らの配置転換を行わない」と認められているたため、組合側としては、都労委における審問手続の進行中に覚書が有効期限の経過により失効し会社が組合員に対して転勤命令を出すような事態が生ずると、爾後の審問手続の進行に支障を来たすことを懸念し、都労委にその旨を申し出た。その結果、会社も救済命令申立事件の終結まで組合員の職場を異動させないことを了承し、右趣旨を明確にするため、昭和三九年一月一六日両当事者が公益委員、使用者委員立会いのもとに覚書を取り交して上記のとおりの協定を結んだものであつて、組合事務所の使用問題は右不当労働行為救済申立の当初から内容に含まれておらず、したがつて上記協定もこれを対象とするものではなかつた。
以上のとおり認められ、右認定を覆し得る証拠はない。そうすると、上記都労委における協定により会社と支部組合間に本件建物につき使用貸借契約が成立したものということはできないから、被告の本主張は採用の限りでない。
(三) 被告は、昭和三九年五月頃支部組合の委任を受けた上部団体役員と会社の委任を受けた労務担当顧問との間に使用貸借契約が成立した、と主張するので考えてみるに、<証拠>によると、上記のとおり会社が支部組合三役に対する解雇の意思表示および本件建物の明渡要求をした後である昭和三九年三月頃から、支部組合の委任を受けた上部団体の役員飯崎、益田の両名が、会社の委任を受けた西牧労務担当顧問および金児総務部長、村上人事課長と組合事務所の使用問題について折衝を続け(昭和三九年五月頃西牧および金児が飯崎、益田の両名と面会したことは当事者間に争いがない。)その話合いの過程において、同年七月末頃会社から、一旦本件建物の明渡しを受け決着をつけた上でならば、改めて解顧の対象となつた組合三役を除く残りの組合員の代表との間で組合事務所の貸借契約を締結してもよい旨を申し出で、飯崎、益田の両名がこれを支部組合に伝えた事実はあつたが、この話はそれ以上進展せず、結局立ち消えに終つたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はないから、被告の本主張は採用することができない。
三被告は、本訴請求は不当労働行為ないし権利の濫用であつて許されない、と主張するので判断する。
まず会社が本件建物の明渡を求める業務上の必要性の有無についてみるに、<証拠>を総合すると、次の諸事実が認められる。
(一) 本件建物は、会社が、上記裁判上の和解と同時に締結した覚書にもとづき、支部組合に組合事務所として使用させるために昭和三八年四月中頃建設した木造トタン葺平家(建建坪一、六〇六坪)の建物であつて、会社荏原工場の旧事務所を中心とする本工場部分とはその東側にある道路を隔てた敷地の南側片隅に位置している。
(二) 会社は、上記のとおり昭和三八年一一月六日に、同月三日の休日使用を主たる理由として使用貸借契約解除にもとづき明渡を要求したが、その後間もなく同年一二月七日、支部組合に対し、本件建物を要求どおり明渡すならば改めてこれを物資の保管場所として提供する申し入れている。
(三) 昭和三八年当時荏原工場は、外傷薬(液剤)の製造、包装、胃腸薬(散剤)の包装、仕上げなどを行い、二二〇名ないし二三〇名の従業員が就業していたが、千葉県成田市の新工場の操業開始に伴つて荏原工場の人員は減少の一途をたどり、昭和四〇年初には同工場の包装、仕上げ関係の大部分の業務が成田工場に移つた結果従業員数は僅か三〇名に減少し、人員、機械設備との関係で荏原工場建物が狭隘であるとは到底いい難い状況であり、また前記本工場部分については建替工事が一部進行中であるけれども、本件建物の存在する敷地部分は改築計画の対象になつていない。
以上の事実が認められ、右認定を覆すべき証拠はない。右認定の事実によると、使用貸借契約の期限が満了した昭和三九年六月二四日当時から現在に至るまで、会社が本件建物もしくはその敷地部分を使用する必要性はなかつたものといわざるを得ない。
そこで、さらに会社の支部組合に対する態度(荏原労組に対する取扱方の相違を含む)について検討するに<証拠>を総合すると、次の諸事実を認めることができる。
(一) 支部組合員一七名は、昭和三六年三月一〇日、会社から勤務場所である蒲田工場の閉鎖を理由に全員解雇され、東京地方裁判所昭和三六年(ヨ)第二一〇一号第二一三一号地位保全仮処分申請事件において昭和三八年二月一二日成立した裁判上の和解により同年五月二日以降会社に復職し、その荏原工場で再び業務に就くことになつたが、会社は、支部組合員を就業させるについて、同工場の製造第二課に第二仕上係を新設し、工場構内の倉庫二階をその作業場とし、復職した支部組合員一七名全員をこれに配置した(以上の事実は当事者間に争いがない。)ところで右和解と同時に両当事者間で取り交わした覚書によると、その第八項には「(1)組合員は会社の定める職場および職種に従うものとする。(2)会社は前記の職場および職種を定めるにあたつては、業務の運営に支障のない限り、本人の技能経験を考慮するよう努力する。」と協定されていたのであるが、右第二仕上係の業務は、ベルトコンベアーについて製品(薬剤)のケース詰め仕上げ、外小箱入れ、ケース外箱に対する各種記号押捺、包装点検などを行う単純な直接作業が主なものであり、支部組合員のうち例へば、解雇前蒲田工場で原価計算業務を行つていた佐藤由起子については、一応事務係とされていたけれども、その仕事の内容は食堂の食券の購入、総務課に対する事務用品の請求など三〇分程度で完了するものであつたため、その余の時間は包装作業に従事せざるを得ず、直井武は、解雇前もつぱら運転手として配達等の業務に従事し、小池雪子は電話交換手であつたのにいずれもその経験、技能がまつたく考慮されていなかつたし、また、石川毅芳は、薬剤師として解雇前蒲田工場の研究所で試験、研究業務に従事しており、荏原工場にも前記本工場部分に試験室があつたにもかかわらず、第二仕上係に配置されたものである。しかも、第二仕上係は、支部組合員のみで構成されていたうえ、その作業場である前記倉庫が、荏原工場の本工場部分とは道路を隔てた敷地に存在したため、組合員らは他の従業員およびその職場から殆んど隔離されるという異常な状況にあつた。
(二) 支部組合は、昭和三八年二月一四日以降前記和解条項および覚書の具体的実施方について、(イ)支部組合員一七名の職場配置、(ロ)組合事務所および掲示板の貸与、(ハ)昭和三八年度の賃上げの三項目を議題とする団体交渉を再三にわたつて申し入れたが、会社は、(イ)においては、会社が決定すべきことで団体交渉事項でないとの理由で、(ロ)については、前記覚書に則り組合員が就業するときには貸与することになつているから団体交渉の議題ではないとして貸与の場所、場所、面積、条項などには一切触れず、(ハ)についても、他の従業員と差別しないと述べるのみで、いずれも団体交渉を行うことを拒否した(右のうち、組合が団交を申し入れたことおよび団交がもたれなかつたことは当事者間に争いがない。)。そこで、支部組合は、やむなく同年四月一日都労委に不当労働行為救済の申立をし、同月一二日公益委員から会社に対して、組合との団体交渉をなすべき旨の勧告がなされた結果、会社は、はじめて同月二月二〇日団体交渉に応ずるに至つた。そして、その後の団体交渉において、会社は、組合事務所の貸与問題について、休日使用を認めないとか使用時間制限を設けるなどの条件を含む貸借契約案を提示し、組合側が上記覚書第二項(1)に「会社は会社構内における組合員の組合活動を認める。但し組合事務所における組合活動を除き、会社の開門時から閉門時までとする。」旨の協定条項があることを理由にこれに反対すると、契約案を受諾しない限り組合事務所は貸与できないとの態度で終始した、また、その間組合側は、会社の本社または荏原工場内で団体交渉を行うことを希望していたにもかかわらず、会社はあくまでも会社外の場所で団体交渉を行うことを固執した。
(三) 支部組合員は、前記のように組合事務所貸与条件について話合いがつかず、昭和三八年五月二日に復職した後も組合事務所を使用することができなかつたため、同月一四日上司である進邦課長の許可を得たうえ第二仕上係の作業場に謄写版などを持ち込み、荏原工場の全従業員に呼びかける教宣ビラ(あしなみ1号ないし3号)を印刷配布したところ、「あしなみ3号」の配布直後である同月二四日、会社は組合に対し謄写版の即日撤去を命じ、同月二五日組合から昼休みの組合活動(謄写、印刷)のため右職場の一部を使用したい旨申請してもこれを拒否し、さらに同年六月二〇日には組合三役に対し、前記「あじなみ3号」の記事の内容および会社構内において許可なくビラを配布したことを主な理由として昇給停止および出勤停止の懲戒処分をした(以上のうち、会社が謄写版の撤去を要求したことおよび懲戒処分をしたことは当事者間に争いがない。)。
(四) 昭和三八年七月当時荏原工場には支部組合のほかに荏原労組が存在していたが、同月一二日から二〇日頃までの間、いずれも昼休み時間中荏原労組の正木書記長、小出執行委員らを中心とする同組合員多数が、同工場の構内で支部組合の日比野執行委員長ら三役および若干の組合員を取り囲み、嘱託員、パートタイマーに対する夏季一時金の差別反対を訴えるビラの配布など支部組合の正当な組合活動を不当であるとしてこれをやめるよう激しく詰問抗議し、炎天下二〇分ないし三〇分にわたり通行を阻止したことがあり、その際、本社の金児総務部長、荏原工場の原田工場次長、樫村総務課長ら職制が現場にいてこの状況を目撃しながら荏原労組員を制止するなどなんらの措置をとることなく放任した。
(五) 会社は、昭和三八年夏季一時金について、荏原労組との間に支給金額を基準内賃金の二ヶ月分、支給対象期間を昭和三七年一一月三一日から昭和三八年五月二〇日まで(その期間の労働日を一四五日とする。)とし、実労働日数がこれに満たない者はその分を日割計算して控除する、などの内容の協定を結び、支部組合員に対しても右協定の基準に従つて一時金を支給することとした。ところが、上記裁判上の和解第六項には、支部組合員らは昭和三八年五月二日から就労するものとし、解雇の意思表示のなされた日以降同日まで引き続いて勤務していたものとして取り扱われるものとする。」との定めがなされていたのに、会社はこれを無視し、支部組合員の実労働日数は復職した同年五月二日から同月二〇日までの間一五日に過ぎないとして、約〇、二ヶ月分しか支給しないとの回答をし、その後上部団体の役員をも交えて団体交渉を重ねた結果、同年七月二九日になつてようやく荏原労組と同様基準内賃金二ヶ月分の支給を骨子とする仮協定が成立するに至つた。
また、会社には、かねてからその常勤役員から一般従業員に至るまで全員で組織する「エスエス製薬厚生会」があつて、全員の福利共助ならびに文化、体育の向上に関する事業を行い、同年四月頃は森山専務取締役が会長、荏原工場の樫村総務課長が荏原支部長であつたが、支部組合員の復職に先立ち、同年四月一日に同会の規約を改訂し、会員の許可を得てその運営を組合に委嘱できることとし、同年五月に入つて既に支部組合員が復職し、荏原工場に二つの組合が存在することが明らかになつた段階で、厚生会荏原支部の厚生活動を一方の荏原労組に委嘱する手続をとり、ただ形式上は、同年四月一五日に樫村支部長から森山会長に右委嘱の許可申請をし、翌一六日許可がなされたかのように文書の体裁をととのえた(以上のうち、会社が厚生会の運営を荏原労組に委嘱したことは当事者間に争いがない)。その結果、支部組合員は、荏原労組との間に感情的な反目があつたことも影響して、厚生会の事業たる文化、体育活動(例えば、野球、卓球、バレーボール、生花、茶道など)に参加することを締め出され、このような活動を通じて支部組合員が他の従業員と交流する機会は著しく失われた。
(7) 昭和三八年九月二六日の団体交渉の席上、会社代表の西牧労務担当顧問は、支部組合に対し、「一七名(支部組合員を指す)は、もともと辞めてもらいたい人達だつた。皆さんを各課に分散して入れたら争議の経過、他の従業員の感情からして不測の事態が起ると考えた」との趣旨の発言をした(この事実は当事者間に争いがない。)。
(七) 会社は、昭和三八年一一月六日付で、支部組合の日比野執行委員長ら三役に対し、同月三日の休日に本件建物に立ち入つたことが組合事務所使用貸借契約の約定に違反することを理由に解雇の意思表示を行い、さらに昭和三九年一二月二九日には残る八名の組合員全員に対しても解雇の意思表示をした(以上の事実は当事者間に争いがない。)
なお、組合三役および組合員らは、それぞれ右解雇の無効を主張して東京地方裁判所に従業員たる地位にあることの確認を求める訴訟を提起し(昭和三八年(ワ)第一〇二五七号、昭和四〇年(ワ)第一二一二号)組合三役については、右本件建物への立入りが使用貸借契約違反にならないとして、その他の組合員については、解雇が労働組合法七条一号の不当労働行為に該当するとして、いずれも解雇無効の主張を認容する勝訴判決が言い渡されている。
(八) 会社は、昭和三八年五月二日荏原労組に対し、支部組合との間の使用貸借契約と全く同一の条件で、荏原工場の本工場部分裏門横の木造トタン葺平家建(建坪一、二五八坪)の建物を組合事務所として貸与していたが、これについては、契約期限の到来時に契約更新を続け、昭和四四年六月五日の当裁判所の検証当時、その内部は埃だらけで到底常時使用されているとは考えられない状況であるにもかかわらず会社から荏原労組に対し右建物の明渡を求めたことは未だかつて一度もなかつた。
以上の事実が認められ、<証拠判断省略>。
以上認定の事実によると、会社は、裁判の和解によつて荏原工場に復職することになつた支部組合員を、その就労の当初から終始一貫勤務の面でも厚生活動の面でも徹底して他の従業員から隔離する方針をとつたばかりでなく、同工場に存在したもう一つの組合である荏原労組と比較して、支部組合およびその組合員に対しては様々な差別的不利益取扱を繰り返し、その挙句本件建物の明渡を請求するに至つたものであつて(しかも、会社が、当初明渡請求の原因として上記休日使用による使用貸借契約の解除のみを主張し、後にこれを変更して契約期間の満了のみを主張するに至つたことは、本件口頭弁論の経過に照らし明らかである)会社が本件建物の明渡を求めなければならない企業運営上の合理的な理由がなにも存在しないことを考え併せると、本訴による本件建物の明渡請求は、支部組合から会社内の組合活動の本拠である組合事務所を奪い、これを会社外に放逐しようとするものであつて、支部組合の運営に対する干渉の契機を包蔵する不当労働行為を構成するものといわざるを得ず、このような場合、右請求が使用貸借契約の期限満了にもとづく返還請求権の行使を理由とするものであつても、それは権利の濫用として、許されないと解するのが相当である。
四以上の次第で、原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(西山要 島田礼介 瀬戸正義)
<物件目録省略>